- 2025.01.20
- 社長日記
母(Great mother)
令和 7年1月13日(成人の日) 母 松本良子が天国へ召されました。この日で85歳の人生に幕を下ろしました。
弟からの電話で「お母さんが亡くなった」でそれを知りました。私の携帯には、父から朝6時くらいから着信が何度もあったことが残されていた。
すぐ実家に行き、まるで寝ているような母の顔を見た。まるで今にも目を開けそうな顔。
母は昭和16年 大分県中津市で食品を中心に扱う大商売人だった祖父「南 一馬」の4番目の子(次女)としてこの世に生を受けた。いわゆるお嬢様で育った母だったらしい、クラブ活動でバドミントンやサイクリング、美術、なんでも楽しくいろいろなことをして過ごしたらしいが、途中から祖父の商売が苦しくなり、大分で初めてできた、美術学科のある大学に母が進学するころ、祖父の事業は破綻したらしい。お嬢様から一気に超貧乏になったわけだ。
「どうしても絵を描くことを仕事にしたい」という母は、下宿をしながら、夕食付きの家庭教師を数件掛け持ちし、時にはコッペパン一個で一日の食事をすませ、とにかく絵をかくことを続けたと話していた。壁には一面に自分が書いたデッサン画・・
大学を卒業するころ、母は大阪「カネボウ」のテキスタイル(繊維にプリントする柄を描く仕事)へ・・・。祖父が大阪に行くことを反対する予測をした母は、先に就職を決めたらしい。
大阪に旅立ったまさにその日、汽車で体調が悪くなった母。それをたまたま駅で助けてくれた方がいらっしゃり、その人の熱烈な勧めで、もともと決まっていた下宿先を断り、その人の家に下宿することとなったらしい。それが現在の私の父の親戚で叔母にあたる人だったのだ。
関東の剣道部だった父が、たまたま大阪で開催される全日本学生剣道大会に来た際、母と父は会い、二人は恋に落ちたらしい。
その後父は母の近く、大阪の日立造船の剣道の実業団選手として就職。母と結婚した。
姉、その次の年私を出産、そしてその二年後弟を生んだ。当時から母はあまり体が強くなく、弟を生むときには「母体が持たないから堕胎したほうが良い」と医者に勧められたらしい。しかし母は「絶対生む」と言って聞かなかったらしい。
父は昔から喧嘩っ早い男で、気が短く、とにかくヤンチャだった。そんな父を見た母は、なんとか立派な男としての成功を支えたかったのだと思う。
全日本学生選手権でも優勝最有力候補だったのに、準優勝で終わったことなどもあったのかもしれない。大阪で実業団選手のころも、毎年優勝するような選手で家には、当時の写真のスクラップがたくさんあった(当時は剣道もスポーツ欄で写真付きだった)。
しかし、アキレス腱を断裂、剣道場を開くという父の夢はそこで途絶えた。母はそこで父に電気工事の会社なら何とか看板を挙げることができると、当時世話になっていた友人から進められた母は、父を説得した。父は電気工事会社の開業を決意する。
資金を貯めるために、母はテキスタイルデザイナーと喫茶店を始め、掛け持ちしてとにかく働いた。家に帰ってからも居間で絵を描く仕事をしていた印象がある。徹夜など日常茶飯事だった。そのため、せっかくの休みの正月は寝込んでいた。
母は早くに独立し、フリーランスとして働いていた。いつも僕たち兄弟は働き続ける母の姿を見て育った。私は兄弟の中でも甘えん坊で、出来が悪かった。母に甘えたい少年てるゆきの敵は「絵」「花柄」・・・・だから幼いころの私は、母の書く花の絵は嫌いだった。その気持ちの反面、DNAを受け継いでいる私は、絵が大好き。小さいころは「漫画家になりたい」という夢をもっていた。今でも絵をかくのは嫌いではない。
私たち兄弟は、母方の祖父母、冒頭に出てきた「一馬おじいちゃん」と「三好おばあちゃん」が同居していいた。私たち3兄弟はその祖父母に育てられたのだ。しかし私が中学に上がるころ、母は大分県に家を建て、祖父母にプレゼントした。祖父母は大分へ帰った。
それから、母は家の家事もするようになった。ちょうどそのころ私は思春期に入っていたので、心配していろいろ言ってくる母を鬱陶しく思い「うるさい!ばぁばぁ!」とか本当に可能なら、当時に戻って取り消したいようなことを母にぶつけていた。
私が町で悪事を働き、警察に迎えに来てもらうのも母、家庭裁判所に出頭する時付き添いはいつも母。いつも泣いていて、時には私に有利になるような嘘までついてくれていた。
本当に後悔しているところです。
私がトライアスロンにはまり、ハワイの世界大会に出場する時、母に借金をお願いすると、すっと通帳を出してきた。私の名前の定期預金通帳だった「好きに使いなさい」私は5回ハワイ大会に出場しているが、そのうち4回はこの通帳のおかげで出場できた。母は若いうちはお金なんか貯めなくてよいから自分に使いなさいと言葉ではなく態度で教えてくれた。
母の仕事を「テキスタイル・デザイナー」と言う。母が書くのは某有名なファッションデザイナーのスカーフや洋服の生地、給湯ポットの花柄になった。母の描くそれらは、ほとんど花柄。しかしそれらの著作権はメーカーや依頼主のものになる。
当然、母の名前が表に出ることはない。彼女の中に「有名になりたい」という低層域の欲望など微塵もない。
母は「仕事ができるだけで幸せなのよ」といつも言っていた。私は母に仕事が楽しいということや、一生懸命働くということ、「私の書いた柄を喜んでくれる人がいる」と利他の心をいつの間にか教えてもらっていた。
晩年、私が続けている児童養護施設訪問の生地が新聞に載ったとき、母はとても喜んで、新聞を沢山買ってきて、近所の人や親せきにそれを配ったらしい。
私:「お母さん、恥ずかしいからやらなくて良いよ・・・・」
私は、親孝行とは、親にお金をあげることや、旅行に連れ行ってあげることと思っていたが、ある人にそれは違うといわれた。
「あなたが、社会で必要とされる人間になり、活躍している姿が一番の親孝行だよ」
私も親になり、子供たちに同じことを思う、その人の言葉が今は、すごくわかる。 どんな些細なことでも子供にしてもらったことは、本当にうれしいし、何より社会で活躍してくれて、生きがいを持って生きてくれていること、幸せな人生を送ってくれている事が最大の親孝行。何かを子供からもらうことなど期待していない。
晩年、父の会社は破綻してしまい、両親は家に引きこもった。私が築50年くらいの工場長屋の端っこを借りて、電建を開業した時、一度だけ母が来てくれたことがある。「あんたが一番大変な時に、何もしてあげられなくてごめんね・・・」
この数年で、母は持病の難病が進行し、元気がどんどんなくなていった、絵も描かなくなった。さらに入院を繰り返し最後の約二年は寝たきりになった。その直前まで、相変わらず自分勝手で家を空けがちだった父だったが、寝たきりになってからは、母の面倒を「俺が見る」と、ずーっと見てくれた。
少し認知症の始まった母は、文句を言わず、時折、子供のように駄々をこねたり、にっこり笑って冗談を言って父を笑わせていた・・・そんな父との時間がすごく幸せそうに私には見えた。先日、数日入院しなくてはならないときは、父に泣いて「家に帰りたい」とまで言ったらしい。
家族で過ごした家、子供も帰ってくる、孫も訪ねてくる家・・・母はこの家が好きというより家族が好きで、そして何よりも、最後まで立派な男になれんかったけど、どうしようもない男やけど、我が子のように思っていた父のことが好きだったのだろう。
最後はずっと、そのあかんたれだった父の介護を受け、そのそばに居られて母は幸せだったと思う。
正月に母を訪ねたとき、母は私にこう言った「今の私があるのは、あなたのおかげよ」。
私は、「お母さん、逆ですよ」といったが、母は笑っていた。 帰り際はいつもの言葉「気をつけなさいよ」お互い手を握り合い「また来るね」が最後の会話となった・・・。
令和7年1月13日、父に看取られて母は、静かに息を引き取った。奇しくもその日は母が、命と引き換えてでも生みたいと切望した弟の誕生日だった。葬儀は18日、震災記念日の翌日、実家で家族だけで慎ましく執り行いました。
家族全員の言葉
お母さん、ありがとう。
松本 晃幸 拝
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